Spherical Days Note. 跡地

このブログは(https://lirasphere.hatenablog.com/)に移転しました。

心のウロから

 人生初の捻挫を体験し、その上口内炎がクソ痛いところにできてしまって心がゆらゆらしているので、気持ちを整理するために書いた。別にお気持ち表明しようとか思っているわけではない。

 雑記・日常とチラ裏がどう違うのかってのはつっこまんといてください。

 

 時々凄い人っているよね。才能の塊というか、独学なのにピアノ上級者なんてもんじゃなかったり、全く新しい数学の論文を発表していたり、外国の有名大学を出ていたり。ただそれだけって人もいっぱいいるし、決めつけるのは良くないと思ってるから、個人名は出さないが。

 で、そういう人たちの中に、たまにものすごく拗らせている人がいたりする。色々と。呪われ願望を持っていたり、Twitterが最早文学の世界だったりする人とか。言っていることが重い人。そういう人を見て思う。「多分この人自分の上位互換だわ……」。

 日本はうつ病大国だということはご存知かと思う。わたしもその中の一人だったりする。ただ、うつ病と一言に言っても、色んなタイプの人がいる。

 上で言ったような人たちは多分、二次障害でそーいう病を患っているのではないか……と思うことが多々ある。なぜかというと、そんな凄い人の呟かれていることが、至って凡人なわたしとほぼ変わらなかったりするから。いやでも色々察してしまうのだ。

 自分だからかもしれないけれど、わたしにはそんな飛び抜けて凄いものがある人ではない。自慢出来ることと言ったら、タイピングが早いことくらい。一応、地元の商業高校の授業では、飛び抜けてクラス1だった。それだけは。それでも誤字脱字が多いものだから救えない。あと褒められたことといえば、中学生の時の担任の先生で、今は恩師とも勝手に思っている……そんな人に読まれて、「小説家目指したら?」と言われた、ブログの書き殴りくらい。このブログの初期の方のアレです。恥ずかしいからリンクは貼らないが、消さない。痛い時の自分の戒めだから。

 才能っていうのは、別になんでもいいと思っている。ピアノが上手いとか、数学ができるとかそんなんじゃなくていい。音ゲーが上手いとか、喋りが上手だとか、そんなんでも。ただ一つあればいいと思う。だから、それすらないわたしには、そういう人たちが素直に羨ましいと思うのと同時に、不思議に感じてしまう。なんで胸をドンと貼って誇れるものがあるのにそんなにナーバスなんだろうか。いや、性格だから仕方ないってのはわかってるんだけど。

 あんまり障害障害言いたくないが(自分がそうですからね)、発達障害の人って飛び抜けている分野があるという話を聞いたことがある。それが多いか少ないかの話。わたしは限りなく少ない。あっても普段役に立たない。

 だけど、ひとつ共通点を見つけた気がする。考え方とかそういうの以外で。

 だいたい、みんな音楽が好きだったりするっぽい。特にピアノが上手い人が多い。ピアノってのは、教育ママが子どもにやらせる習い事ランキングでは必ず上位に来ると思うから、そういうわけもあるのかもしれないが。でも、わたしみたいにピアノを習っても全く上達しなくて、結局違う楽器に辿り着く人もいる。だけど音楽に変わりはない。音楽とかスポーツってのはやはり世界共通語なのだろうと思う。

 

 話を変えましょう。

 ここからはTwitterでもちょっと言ったことだけど、多分わたしたちみたいな人は、良くも悪くも感受性が豊かすぎるのだと思っている。そしてこれは個人的なことだがほぼ流行に乗れない。そういう場合、それを水に流せるか流せないかが致命的な問題になってくる。ちょっとした刺激でも大ダメージになるのだから、ある程度受け流せる体勢でいないとすぐに傷がつく。こういう状態を、大抵の人は「神経が細い」だとか「神経質」と呼ぶ。

 別に好きで神経を尖らせているわけじゃない。だけど、なんにもしていないのに常に細く尖らせ続けてしまっているのだ。寝ている時も、食っている時も、それ以外もずっとだ。何をしていても、心から伸びる神経というものを手動鉛筆削り器にぶっ刺して削り続けているのである。常にそんなことをしているから、余計なところでエネルギーを使用してしまっている。そういうのもいけない理由の一つだ。普通の人がだいたい鉛筆くらいの太さなら、わたしの場合は多分糸切れくらいしかないと思われる。

 例えば、身近でいうならやはりSNSだろうか。

 わたしには友達がいない。Twitterでもフォロワーの数は少ない。だから殆ど誰にも気にされていないのにも関わらず、ちょっと否定的なことを呟いた後で「これ誰かに見られたらやばいかな」って思ってツイ消しする。否定的と言っても、世間的にこのキャラクターは人気なのに自分はなんだか好きになれない、みたいな、そんな些細なことなのである。

 我ながらこれじゃ疲れもするわ、と思う。思春期か。なんかこう、自分が自分であることって難しいことなのねえ。流行に乗れないくせに、変なところでは流されやすい分、余計に。

 わたしは、LINEが来たら速攻返信するタイプなのだが、みんなも同じだと思ってしまっている節がある。既読無視は勿論盛大に傷つくし、長時間既読がつかないだけで「迷惑だったかな」と思ってしまう性質だった。最近はそこらへんは改善した。出来たと思っている。何が言いたいかってーと、LINEひとつ送るのにも恐る恐るやっているということだ。チキンハートなんてもんじゃない。自分ながら面倒臭いとも思う。

 これの何が大変かというと、「疲れると、やる気がなくなる」ということだ。

「休日何も出来ない人はうつ病の入り口に立っている」という記事を、どこかで目にしたことがある。本当にその通りだ。そして、前のブログにも書いたが、うつ病というのは体が鉛化することなのである。ちなみにこれは専門家談です。

 もうね。自分で余計なところにHP・MPを際限なく使って自分から疲れているのだから始末に負えない。長時間既読がつかないだけで迷惑だったかと思ってしまうところは改善した(つもり)とさっき書いたが、それに関しても多分MPを大量に消費しているのだと思う。

 こんな育ち方をしてきたから、自分に素直に生きられる人が羨ましくて仕方がない。素直な人は好きだが素直という字面からもう嫌いだ。自分でも何言ってんのかわからないくらいこんがらがっている。

 世間はいつでもめまぐるしく動く。いつまでも隣にいてくれると思っていた人は癌で死んでいくし、不仲説も全くない大好きなアイドルグループも来年で活動を休止する。ついこないだ元号も変わった。もう自分は一つ前の時代の人なのだ。一秒一秒が流れなのだ。そんな世の中で、流行にうまく乗れないっていうのは実はとてもヤバいことだと思う。高速道路の速度制限は120km/hと定められているのに、そんな中一人で70km/hくらいで走っているようなもんである。もはや煽り運転でしかない。ただその煽り運転は、障害者という免罪符で許されている状況。

 もう一度言うが、やりたくてやってるんじゃない。こうなりたくてなったんじゃないんだ。

 誰だって流行にいい感じに乗れて、素直に生きられた方がいいに決まってる。でも自分にはそれが出来ない。難問すぎる難問なのだ。超えられない壁と言った方が正しいか。

 まあ、そんなふうに愚痴ったってしょうがないと最近では気付いている。と言うかもう悟るしかない。年齢が年齢だしね。騒いで周りが付き合ってくれるような状況じゃないから。

 隊列の流れを乱すのなら、隅でちまちまやっていくしかない。そんな方向に考えが行っていた。それでもやる気はある状態だったのだ。前に進行するやる気があった。でも、そんなことして誰かに後ろ指を指されて笑われたら……とか、そんなんで後に何か残るか?とか色々疑問が浮かんでくる。

 で、結局だ。

 命あるものは全て死ぬ運命にある。それが早いか遅いかの問題なんだ。だから、別に何もしなくていんじゃね?というのが今の状態だ。

 例えば、わたしは写真が嫌いだ。写真写りが悪いとか、写真に写されるほど美しい外見を持っているわけでもないとか、そういう以前に。

 これでも(困ったことに)成人したての女なので、振袖を着て写真を撮ったのは記憶に新しい出来事なのだが、これになんの意味があろうか。

 わたしは母方の祖父母と一緒に住んでいる。父方の祖父母は遠いところに住んでいる。飛行機で一時間以上かかるくらいには遠いので、そんなに会える機会がない。でも勿論そちらの祖父母もわたしの成長を楽しみにしてくれているわけで、自分の中では父方の祖父母のために撮ったと思っている。

 だけど、もう祖父母だ。何歳まで生きるかはわたしには分からんが、もうそんなに長くはないだろう。

 どちらも天国へいってしまって、家の中が空っぽになって……そんな状態になる未来が、近くにあるわけだ。その前に地球が滅びるかもしれないし。南海トラフとか、色々胡散臭い予言みたいなものがあるのは有名な話だが、そんなのが起きたら写真どころか家すらなくなる。死んだらもうそこで終わりなのだ。それなのに、なぜそんなものにお金をかける必要がある?

 わたしの人生もそのくらいだと思っている。どっかのお偉いさんでもお姫様でもないのだから、わたし一人生きていようが死んでいようが変わらず世界は回る。ただし今死んだら必ず悲しむ人が出てくる。でもそんなの親族くらいだ。わたしと仲のいい親族はもうみんな結構な歳である。最悪みんな先に逝ってしまったら、わたしも死んでしまってもいいかもしれないと結構本気で思っている。そんな考えの人がなにか行動を起こして、何か意味があるのだろうか?残るものがあるのか?

 そうじゃなくても、ただ息を吸って立ち尽くしているだけで、「自分の神経を削る」という余計なことをしまくっているんだから、他のことをしたらもっと疲れるだけだし、むしろそちらに注力して自爆してしまった方が楽なのでは?

 ここからはただの愚痴になるが……。

 生きるモチベが全くないのに、これ以上不眠や幻覚幻聴に悩まされ、それを抑えるために祖父以上の量の薬を毎日飲み続けてまで生きる必要性って、どこかにあるのだろうか?最近は、怖い夢を見すぎて、もうそこらのホラー漫画・ゲームでは動じないし、怖いもの見たさに見にいくくらいになってしまった。数年前までやっていたニ○動の夏の風物詩だけは受け付けなかったというか、イラっとしたが。公式で精神的ブラクラみたいなのをするのは本当にいただけない。

 それとも、自分で見いだせていないだけなのか? 

 女神様でも妖精さんでもいいから、あるのなら教えて欲しい。ないのならないって言って欲しい。その方が楽になれる。

 某ゲームの名台詞が頭の中を反芻している。

 なにゆえもがきいきるのか?

 本当にこのゲームみたいに、救ってくれる勇者がいてくれたら、どれだけありがたいことか。このゲームシリーズのテーマ曲はいいなあ。聴いてるだけで生きてるって感じがするね。こんなクソ記事に名前出したくない、いや出してはいけないくらいの神ゲーだから名前は書かないけど。ただ、このシリーズの勇者って喋らないから悲惨さが軽減されているが、みんな本当に酷い目に遭っているのよねえ。それに比べ、わたしの未来は楽しみもない分苦労することもないと思っている。それならそれでいいじゃないかとも思っている始末である。なんか、もうちょい気楽に生きられないものか。

 そういや、わたしの葬式の遺影として使えそうな写真はあるのだろうか。それも心配だ。いや、葬式なんて開かれても(友達がいないという意味で)寂しい気持ちになるだけだろうから、やらない方が金のためかとは思うが。

 このままでは意味もなくダラダラと縦長になりそうな雰囲気なので、最後にひとこと綺麗に〆たいと思う。

「明日(から)のプレゼントもゴミよ!」

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(こんなクソ記事が)

 作業用BGMは、「STARGAZER」の「アークCITYちか」BGMと「MOTHER2」より「ムーンサイドスウィング」でした。どちらもいい感じに考え込める良BGMです。あ、後者はやったことないですが前者は神ゲーです。ここまで読んでくださりありがとうございました&お疲れ様でした。では、また。