Spherical Days Note. 跡地

このブログは(https://lirasphere.hatenablog.com/)に移転しました。

No Chroma.

自分の胸にこびりついて離れない、虚無感と悲しさ。典型的なうつ症状である。双極性障害……躁うつ病。私のこの病気は、気分が異常に高揚して支離破滅な言動を繰り返すいわゆる躁病と、何にも意欲をなくし、意味もないのにずっと悲しい、寂しい、そんな気持ちになって何もしたくなくなり特には悲観的になりなんでもない事でも自分を責めたりする病……よく知られるうつ病。私の感覚では、躁病よりうつ病の方が名前が世に浸透していると感じるが……躁うつ病は、そのふたつを絶え間なく行き来する病気である。人間だれしも気分の波はあるが、セロトニンと呼ばれる脳の成分が足りないせいでその波がより大きくなってしまう病気だ。……専門家ではないから、恐らくとしか言えないが、まあ大体そんな病気だと私は理解している。

 人間、誰しも不安を持っている。その不安が膨らむと不安障害になり、もっと膨らむとうつ病になり、それよりももっと膨らむと躁うつ病となり、そしてその上に統合失調症がある。

 

 今は重いうつ症状が顔を出している。ちょっとした出来事にも過剰反応してしまう。例えば、母が少しだけきつい感じで私に「ご飯だから来て」と言ったとしよう。それだけで私は「ああ、私は嫌われているの?」と思ってしまう。それに、例えばTwitterでいいね(前はFavoriteと呼ばれていた)やらリツイートやらが来なかったり、リプライしたのに何時間も返事がなかったりするとそわそわが収まらなかったりする。

 

 そういうことが積もり積もると、私は自傷してしまう。

 

 リスカ依存症にはなりたくない、そう思っていたけれど、もうなってしまっているのかも知れない。だって、頭の隅にずっと、特にお風呂の時など、「自分は(物理的に)傷ついていなければいけない」と、根拠のない使命感に駆られている。だから今も傷つけるけれど、刃物は全て取り上げられ、切れるものはハサミしかない。ハサミでは切りにくい。私は躍起になり左手首だけではなく右手首にも傷をつけてしまっているし、横カットだけではなく縦カットもしている。なので、今は両手首に包帯を巻いている状態だ。……もう慣れてしまった。もう包帯は私の体の一部だった。この前手首切った場所なんて、ベランダだった。私はノートのマス目のように手首を切り刻みたいのに、そうはいかなかった。隠密にカミソリを買いに行く、そんなやる気さえも、うつのせいで起きない。

 

                            休むことも許されず

                            笑うことを止められて

                            はいつくばって はいつくばって

                            いったい何を探しているのか……

 

 私がこの曲を知ったのは斉藤由貴さんのカヴァーバージョンだが、井上陽水さんのこの歌詞に、心が揺さぶられるのを感じた。

 

 私はこの病にかかってから、涙を流す時は涙が一時 間以上止まらないか、泣きたくても泣けないかのどっちかになってしまった。私と同じ病だったと言われる夏目漱石が書いた「こころ」。これが高校の課題に出た時、私は頭がぐわんぐわん揺れるような気がして、自分の中に依然としてある虚無感と悲しみが肥大しそうになって、読むことが出来なかった。高校に連絡すると、問題を差し替えて貰えることになった。通信制高校でよかったと、私はその時心から思った。

 

                            探すのをやめた時

                            見つかることもよくある話で

                            踊りましょう 夢の中へ

                            行ってみたいと思いませんか?

 

 Rayark社の大人気音楽ゲーム、「Cytus」の中に入っている、ensou氏の「COMA」という曲の画像(参考:https://goo.gl/ecbQwY)のように、もう一人の“私”が、この超客観的気質な私の、少しだけ残った主観的心情に問いかける。

「踊りましょう。夢の中へ、行ってみたいと思いませんか?」

 

 そう問いかけるもう一人の“私”は、微笑んでこちらへ誘うように両腕をこちらへ向けていた。

 アパートの上階の階段から、頭から落ちながら。

 

                            休むことも許されず

                            笑うことを止められて

                            はいつくばって はいつくばって

                            いったい何を探しているのか

 

                            探すのをやめた時

                            見つかることもよくある話で

                            踊りましょう 夢の中へ

                            行ってみたいと思いませんか?

 

 私の探すもの。毎日薬を飲んで、うつの時はベッドの上。夕飯の匂いがすればそれがどんなに好きなものだったとしても気持ちが悪くなり、拒食っぽくなって痩せ、下痢と不眠に苛まれる。父には再入院させるぞと脅され、母とはちょっとしたことで私が過剰反応してしまうがゆえに言い合いになり、躁状態の時に家を飛び出し暴れれば祖父母や妹にも探され捕まえ抑えられる。

 

                            探しものはなんですか?

                            見つけにくいものですか?

                            カバンの中もつくえの中も

                            探したけれど見つからないのに

 

                            休むことも許されず

                            笑うことを止められて

                            はいつくばって はいつくばって

                            いったい何を探しているのか

 

                            探すのをやめた時

                            見つかることもよくある話で

                            踊りましょう 夢の中へ

                            行ってみたいと思いませんか?

 

 命は永遠ではない。私がこうしている間にも、無情にも時は流れ、命が少しずつ削り取られていく。

 私が今探していることを、やめたら。

 

 もう一人の“私”が、頭から落ちながら、うつのせいでなんのやる気も起きずベッドの上にいる私に手を伸ばす。

「探すのをやめた時

 見つかることもよくある話で

 踊りましょう 夢の中へ

 行ってみたいと思いませんか?」

 

 

ベッドの上の私は、その手を

(ここで手記は途切れている)

 

 

 

後書き

 ここまで全部読んで下さり、ありがとうございました。これは衝動的な殴り書きみたいなものですので、見苦しくてすみません。

 まず、文章中に使わせて頂いたのは井上陽水さんの「夢の中へ」という曲です。ちなみに私は1998年生まれですが、聴いたのは斉藤由貴さんのカヴァーバージョンです。使わせていただき、ありがとうございます。

 さて、私、この文章に名前を付けるか付けるまいか悩んだ末、付けました。「No Chroma.」意味もちゃんとあります。ここで全部解説してしまうのもあれですので、ヒントだけ。「chroma」という単語は、「彩色」という意味らしいですよ。もう答えを言っているようなものですな。

 この文章の中には、三人の私が出てきます。二人だと思ったでしょうか?実は三人なんです。

 そして、この文章は全て私が経験したこと、思っていることですが、「私ではない誰かがしていること」として書いています。なぜかは……察してください。この文章の主人公は、私であり、私ではないのです。

 

 さあ。ここまで読んでくれた皆さん、考えてみてください。

 私は、最後、“私”の手を取るでしょうか?それとも……