Spherical Tears.

一介の多趣味メンヘラの徒然日記です。超不定期更新。色々なことを書きます。

歯医者ってさ…超怖くないですか?

 今の素直な気持ちを表してみたタイトル。いえね、私がかかったことのある病院なんて、内科、耳鼻科、眼科、精神科、歯科くらいですけど……歯科と耳鼻科って、ぶっちぎりで怖くないですか?いや、まだ歯医者に行くって決めたわけではないんですけどね……最近ここ三日くらいずっと歯の奥の方に違和感感じてて、「またいつもの原因不明の腫れだろ」と思いながらも一応鏡で見てみたら……なんか、白い軟骨みたいなものがちょこんと顔を出しやがってるんですよ。つまり、親知らず生えてきた疑惑が浮上してるんです。これはいけない。本当に小さい頃(幼稚園生くらいの頃かなあ)私八重歯を抜いたことがあるんですけどめちゃくちゃ痛くて。でも親知らずを放っておくのは流石にまずいですよ!でも親知らずだと決まった訳ではないので……

神バハのバザーでダークセイバー・メリッサが一枚手に入ったら」歯医者に行こうと思います!!wwwwwww

 はい。初っ端から変な話してすみませんでした!!

 

正式に。

 度々このブログでもお話してきた阿見吹奏楽団。この度、私マリアージュはたった一人のコントラバス担当者として、この吹奏楽団に入団することになりました。

 一般団体ですので、練習は土日の夕方~夜に行われています。なかなかにレベルの高い吹奏楽団です。正直、私自身コントラバスをきちんと弾くのは中学以来なのでブランクが長すぎるし、そんなに元々技術も高い人ではないので、一身に期待を受けてとても恐縮しているのですが、ずっと家族としか関わってこなかった私が、どこかの団体に入る、という大きな一歩(私の中では大きな一歩なんです)を踏み出せたことは、とても嬉しいですし、これが社会復帰への階段を一段上ることができたのかなあ、なんて思っていたりします。

 ここからは少し重い話になるのですが。

 私が精神的な病を患っているということが発覚したのは、高校二年の頃でした。中学二年のとき、漫画にあるテンプレのような、それはとても酷い虐めにあって不登校になりました。でも中学校は義務教育なので、無条件で三年生に進級することが出来ます。でも、三年生になったらずっと休んでいるわけには行きません。何せ、私は普通の市立中学校所属でしたから、高校受験を受けなければいけないからです。学校を休めばそれだけ授業に遅れるし、内申点も下がります。私は特別頭がいい方ではないというか、どちらかというと悪い方なので(特に数学とか数学とか数学とか)、学校に行って勉強をしないと高校生にはなれません。そのくらい、中二のときの休んでいた期間が長かったのです。そう頭では分かっていても、最初はなかなか学校に足が向きませんでした。さて、小中学校では大体、学年が上がってクラス替えがあって、新しい担任の先生が決まって新学期がスタートすると、四月中に家庭訪問というイベントがありますよね。今は教師が生徒の家の場所を確認して、それだけで終わり……というところも結構あるらしいですが。というか、私もそうでした。でも、希望を出せば放課後、きちんと担任教師が家に上がってお話をする、家庭訪問をしてくれる学校だったんです。母は、なんとか出来ないかとその希望を出しました。私が中学三年生になったとき、私のクラスの担任として決まった先生はとても評判が良かったので、打開策はないかと、そう思ったんでしょうね。私、その先生が家にいらしゃったとき、最初は出て行かなかったんです。スウェット姿だったし、なんかやっぱり言われそうで怖かったので。自室に閉じこもっていたら、母が呼びにやってきました。

母「先生があんたと話したいって。来なさい」

私「嫌だよ。こんな恰好で先生と会うの?」

母「仕方ないでしょ。来ないなら先生からこっちに来るって言ってたよ」

 それはもっとまずい。だって担任の先生に自室見られるとか一番嫌じゃないですか!私は重い足を引きずり、しぶしぶ応接間を兼ねたリビングルームへと出て行きました。

 案の定、泣かされました。女性の先生だったのですが、がーっと問い詰められ怒られたわけではありません。ただ、叱咤激励されたのです。めちゃくそ泣きました。でも、自然と先生に対して「うぜぇ」とか、「早く帰ってくんないかな」とか、そういうネガティブな感情は湧き上がってきませんでした。先生の、静かな怒りというか、怒りじゃないな……その先生はあまり表情を変えない方でしたので、多分怖さが増していたのだと思います。し、その先生自身もきっと、私を奮い立たせるために必死だったんだと思います。家庭科の先生なので、中学一年の時から家庭科ではお世話になっていたので初対面ではないのですが、あんまり深くはない関係ですよね。それでも、この世の中、中卒では何もできません。大学を出たって就職できない人はたくさんいます。少しでも私の未来が明るくなって欲しい、そう思っていたのかなぁと、私はそう推測しています。そのために、心を鬼にして、決して激昂などしませんでした。静かに諭すように、怒りを抑えたような口調で色々言われました。私、脳味噌のストレージ容量が小さいもんで、その時先生に何を言われたのかは忘れてしまったのですが、とにかく泣きました。でも、さっきも書きましたように、先生への恨みや怒りなどといったマイナスな感情は一切起こって来なかったんです。そして不思議なことに、「学校に行こう」と、思えるようになったんです。事実、翌日から登校しましたし、行きたくなくてどうしても休んでしまうことはありましたけど、頑張って勉強して、滑り止めの私立高校は愚か、倍率がめちゃくちゃ高い(偏差値が高いわけじゃないです。偏差値が程よい高さだから高倍率だったわけで)、第一志望の全日制県立高校に合格することが出来ました。私は中学二年の時、大分休んでしまっていたので、志願するときに「なぜ休んでしまったのか」理由を書いたお手紙のようなものを特別に書かされた思い出があります。ちなみに、中学二年生の時は部活でも、先輩から酷い虐めを受けていました。私はコントラバス(&エレキベース)担当でしたので、チューバと同じパートなのですが……チューバのパートリーダーの先輩から虐められていました。その時、コントラバスの先輩はいませんでした。とても孤独だったのです。普段は厳しい部活の顧問の先生もそれを知っていて、私が部活を休むことを伝えると、「分かった。無理するな」と声をかけてくださいました。今思うと本当に陰湿で嫌な先輩だったなと思います。音楽だけとは言わず、芸術は人の心を映す鏡です。その年はコントラバスが私一人だけだったのでレギュラー入り出来たのですが(後輩に一人いましたが、エレキベース目当てに入ってきたと堂々と言われてぶん殴りたい衝動にかられましたね)案の定、県大会予選落ちでしたから、もう証明されているようなものですよね。私が中学一年生の頃は、三年生の人数が多くコントラバスの先輩が二人もいたのですが、本当にいい先輩でした。例えていうなら、神撃のバハムート(最近グランブルーファンタジーにも登場しましたね)のアンとグレアみたいな先輩でした(カプ厨の目で見ると、レズは食べられないのでアングレ嫌いなんですけどアンは好きです。どうでもいいね)。その年にやった吹奏楽コンクールの自由曲「アンティフォナーレ」は、一番私の好きな曲です。いつか阿見吹奏楽団の皆様とも演奏してみたいなと思っている曲です。

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 そして私は中学を無事卒業、全日制の高校に進学しました。でも中二の時に負った傷は大きく、「ずっとぼっちでいいや」と一年の頃はずっと殻に籠って一人でいました。私の人生を大きく狂わせたのは、高校二年のときにある一大行事、修学旅行でした。いえ、修学旅行自体は行っていません。修学旅行の前準備の時点で、問題が発生したのです。

 男性の方には分からない感覚かも知れませんが、女子ってめっちゃ面倒臭いんですよ。日常から、もうグループを作ってるんです。群れていないと死んじゃう生き物なんでしょうね、女って。ほら、小学生の時とかもあるじゃないですか。「○○~、トイレ行こ~」みたいな……。なんでトイレに友達連れて行かなきゃいけねーんだよ!まだ明るいのに!みたいな。本当に面倒臭い。私は一年の頃からずっとそういうグループの輪には入らず、ずっとぼっちだったので……あとはもうお分かりかと思いますが、修学旅行って色々決めごとをするじゃないですか。私みたいな人が一番困るのが、班決めなんです。そこで私はまざまざと思い知らされました。一人ではいけないのだと。ぼっちだぼっちだ、って笑って済ませられる出来事ではないのだと。何があったのか……それは、班決めをするとき、普段一人な私でも、昼食を一緒に食べてくれるというか、輪に入れてくれる人はいたんです。私は勝手に「その人たちなら私のこと入れてくれるだろう」と思っていました。でも実際やってみたら、はじかれてしまったのです。そこで初めて私は強く意識しました。「友達欲しいなあ(切実)」。この一言だけだとギャグですけど、私は必死だったんです。

 でも、おかしな話ですよね。私、中学二年のときからずっと一人を貫いてきたから、友達の作り方が分からなくなってしまっていたんです。友達の作り方が分からない……言ってみるととても違和感のある文章ですよね。でも事実だったんです。そして担任の先生が、なんというかとっても昭和の先生で……パーソナルスペースの広い私には、その先生の授業も苦痛でした。私、普通科ではなく、商業科だったんです。高校一年生のときは「商業科」として一つに統一されているんですけど、中学二年からは「商業」「会計」「パソコン」みたいな感じで、三つのコースに分かれるんです。一番人気はやはり会計。理由は単純明快、就職率が一番良かったからです。私も「だめだろうなぁ」と思いながらも会計を選んで、まさかの会計に進めたはいいのですが、頭がいい人ばかりで……。それよりもなによりも一番アレだったのが、クラスの六分の五くらいは女子だったことです。その中だと私は頭が大分悪い方だったので、めっちゃ昭和な先生に怒鳴られまくっていましたし(これは普通に自分が悪いところもあるんですけど)、理不尽に罵倒されたり、前のテストの結果が悪い人順に席に前に並べて座らせられたり(要は晒し上げられるわけですな)、簿記の時間はとても苦痛でした。それを耐えながらの、やってきたこの修学旅行の班決め。私は完全に学校へ行くことが怖くなって、毎朝毎朝母と大喧嘩する羽目になりました。

 その日も同じように朝、母と喧嘩をしていました。それまでずっと理由もなく「学校に行きたくない」で通していました。出来れば、話したくなかったんです。だって、中学二年生の時も、殆ど同じ状況で、耐えられなくなった私がある朝やっと虐めの話をしたら、母を泣かせてしまい、イジメ撃退の為に苦労させてしまった過去があったからなのです。中学二年生の時は、先生や、母だけではなく家族のご尽力により虐められていた人たちからは謝って貰いましたが、今度はそうはいきません。だって、虐められているわけではないのですから(仲間外れにされたのだから、虐められたと言ってもいいのかもしれませんが)、とっても迷いました。でも、このまま喧嘩したままずるずる引き摺ってもいいことないなと思って、私は意を決して母に全て吐露しました。そうしたら、母は優しく頷いてくれました。

 ところが一転。自分の心の中を全部外に出したからなのか、理由は分からないのですが、翌日登校したら具合が悪くなってしまいました。体の震えが止まらない・冷や汗が止まらない・眩暈がする、など……とにかく、これはヤバイと思ってLINEで母にその旨を伝えたところ、「今すぐ保健室に行って休みなさい。今から迎えに行く」と返信がありました。私は言われた通り保健室に行って、養護教諭の先生にも全て伝えました。それからが大変でした。

 養護教諭の先生が私の担任の先生にも伝えてくださったようで、昭和~な厳しい先生の、私に対する態度が目に見えて柔らかくなりました。なにか、腫れものを触るような態度になり、私はまた学校を休むことになりました。カウンセラーの先生が週に何回かいらっしゃっていたので、その日だけは登校する……という日々をしばらく送っていたのですが、高校はもう義務教育ではありません。単位を取れなければ留年です。私はそこで、とある選択肢を出されました。

通信制の高校なら、毎日通学しなくても単位取れるよ」

 そう言った母は必死でした。担任教師と連絡を取り合っていたのは母でしたから、私より焦っていたと思います。でも「通信制」ってやっぱり、こう……なんか、気軽に「はい」って言えないというか、憚られますよね。全日制に通っていた人からすると。通信制も普通の高校なのにね。祖母もそういう偏見を持っていました。

 時間は止まってはくれません。刻々とすぎてゆきます。段々と休んでいる余裕がなくなってきた教科もあり、その教科がある時だけ登校する……そんなところになるまで、私は選択することを憚っていました。

 私が精神科に通い始めたのは、その頃でした。単純にそれは、私が昔から眠れないことがあるから、睡眠薬を貰おうと思い、母がかかりつけの内科のクリニックに電話をしたところ、その先生から「一応子どもだから、そういう専門のところに行った方がいい」と言われ、子ども専用のメンタルクリニックに通い始めたのです。初めて出された薬は、リスペリドン錠でした。これは後から聞いた話なのですが、最初そこにかかったときに先生は、私のことを統合失調症だと考えていたそうで。笑えねぇ。

 そして、ついにタイムリミットはやってきました。このまま頑張ってこの学校に通い続ける(復帰する)か、通信制の高校に転校するか。

 私は通信制への偏見というか、全日制に頑張って受かった努力がパーになってしまうのが嫌で、ずっととどまっていました。でも、その時の状態から、全日制のその学校に復帰することが現実的でないことは、私も自覚していました。かくして、私は通信制高校に転校することになったのです。高校を卒業してから、その全日制の頃のクラスメートだった、比較的仲良かった女の子に聞いたのですが、私が転校したことについて、担任の先生は、しばらく時間が経ってから思い出したように、「学校をやめました」と皆に伝えられたそうなんです。その時の私は「まじかwww適当すぐるwwww」と笑って流しましたが、とてもその言い方に憤りを覚えました。全日制の学校からはいなくなったけど、高校をやめたわけじゃないのにな。通信制に通い始めてからは、通信制への偏見は全くなくなりました。

 通信制高校に転校してから、私は新しく病名がつけ直されました。そう、「双極性障害」です。躁うつ病とも言います。私は「障害」と言われることがあまり好きではないので、躁うつ病と呼ぶようにしているのですが。私の病状はひどくなるばかりでした。躁うつ病だけじゃなくて、精神的な病って、その病人だけではなく、近くの人をもおかしくしてしまうのです。それはなぜか?自分が普通のことをしない、出来ないからです。というか、明らかに普通からかけ離れた行為をしてしまうからです。一番近くにいる母は、どんどん様子がおかしくなっていきました。私はそんな母を見ていて、これ以上母にストレスを与えるわけには行かないと、泣く泣く入院することになりました。小さな子ども用メンタルクリニックから、紹介状を書いて貰い大きな精神科病院閉鎖病棟に二回ほど入院していますが、その時は本当に「通信制に転校しておいてよかった」と思いましたね。

 話が大幅に逸れましたね。通信制高校に転校した私は、再び友達を作ること、他人と交流を持つことを諦めました。「どうせ頑張ったってうまくいかない」と、再び殻に閉じ籠もりました。他人に対しては異常なほど警戒するスイッチが出来てしまったのです。つまり、人見知りの進化形ですな。でも、それでは生きていけません。高校を卒業し、就労移行支援施設で働こうと思い、簡単な面談をしたのですが、結果は「デイケアからやり直してきてください」だったのです。普通の入社試験で言うと、「落ちた」ということです。私はそこで、完全に自分の未来が真っ暗になったと思いました。両親をはじめとした家族の皆や、中学三年の時の先生や、通信制高校の先生が私のために費やしてくれた時間や思いはなんだったんだ?私は頭を抱えていました。デイケアに行く気も起きませんでした。

 就労移行支援事業所で働くための面談を受ける前、何故だか両親は大金をはたいて私にとあるモノを買ってくれていました。普通なら絶対に買わないし、私が住んでいるような田舎……とまではいきませんが、こんな地方じゃ売ってもいないものです。それが、コントラバスでした。

 私が面談ではじかれたあと、カウンセリングで私はカウンセラーさんとこう話していました。

カウンセラー「なにか、好きなことでもいいから、やる気が起きればいいんですけどねぇ……」

私「……強いて言うなら、また、コントラバスが弾きたいですね」

 そう。私には、人にはない強みがある。コントラバスがあるじゃないか……それを聞いた両親は、多分血眼になって私が活躍できる場を探してくれたのでしょう。ですがいかんせん、母が持って来てくれた団はジャズの団でした。わたしは吹奏楽出身のコントラバス奏者(見習い)。私はそのジャズバンドのコンサートを見に行きましたが、我儘な私はどうしてもしっくりと来ませんでした。ですがその後、父親が、自身の人間関係ネットワークを駆使して、見つけてきてくれたのです。

父「ほら。コントラバス急募だって書いてあるぞ?吹奏楽だぞ」

 それが、阿見吹奏楽団でした。

 早速私は両親と共に阿見吹奏楽団のコンサートを見に行きました。そこで、吹奏楽をやっている人なら知らない人はいないだろう曲「センチュリア」が演奏されていたのを聴いて、私は決めました。デイケアではないけど、何もやらないで家に籠っているよりはいいだろうと。

 そして三回ほど練習に参加し、一昨日、晴れて阿見吹奏楽団の正式団員として入団することになりました。入団する際には、やはり団員の皆様に挨拶をしなければなりません。私は、団員の皆さんの前で自分が病気を持っていること、自分が何故この楽団に入ろうと思ったのか。いわゆる、動機ですね。全部話すと長くなるのでかなり端折って話したのですが大分長い挨拶になってしまいましたし、練習前に挨拶をしたものですから湿っぽい雰囲気にしてしまい本当に申し訳ないと思っているのですが、挨拶が終わった後、盛大な拍手と、阿見吹奏楽団の皆さんの顔を見て、「私もここならやっていける」と思いました。丁度今鬱の時期に入ってしまっていて、体調がよろしくなかったのでその日はその時点で帰宅したのですが、その後パートのグループラインに入れて頂いて、パートの方々にLINEでご挨拶をしたところ、数々の温かい言葉を頂き、「やっぱり音楽が好きで、真剣にやっている人に悪い人はいないんだな」ということを確信しました。

 そして、公式サイトなのですが……

阿見吹奏楽団 パート紹介

 分かりますかね?下の方にスクロールして頂くと、「Euphonium6人・Tuba3人・String Bass1名で活動中」と書かれているのが。

 早速更新されていたんです。ああ、私は本当に入団したんだなぁと、それを見てとても嬉しく思いました。公式サイトを運営してくださっている方、こまめに更新してくださってありがとうございます&お疲れ様です。

 とても長々と書いてしまいましたが、私は阿見吹奏楽団の、たった一人のコントラバス担当として入団しました。さっそく沢山楽譜を貰ったので、張り切ってやっていきたいと思います。そうしていつか、これを皮切りにして、私のために頑張ってくれたみんなに、普通に元気に働いて生きている姿を見せられたらなぁと思っています。どんな言葉より、どんなプレゼント(初任給でプレゼントとかは、すごくいいよね)よりも、そういう姿を見せられた方がきっと、喜んでくれると思うから。

 待っていてください、お母さん、お父さん、その他家族親戚の方々、阿見吹奏楽団の皆さん、そして色々難しい事情を抱えた私に「明るい未来を」と尽くしてくれた皆様。私はきっとこの病気に打ち勝ってみせます。多分途中、挫折することもあると思います。そういうときは、また手を貸してください。私は誰かに必要とされていることを知ったから、もう迷わずにその手を借りて、何度でも立ち上がってみせますから。

 

神撃のバハムート!!

 シリアスのお時間はもう終わりだ。誰得神バハ進捗状況。

 なんの進捗かって?私は神バハをゲームするためにプレイしてるんじゃないんです、安くなった推しキャラと虫麻呂さんカードを集めるためにやってるんですよ!!!!

 今のカードインベントリの一部はこんな感じになってます。

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 ごめんね、セラさん。まだ君に手を付けられていないんだ……!!ルピが足りなくて……!!

 まずは、ブロッサムセラフ・キルシュが4枚揃いました。

 新顔さんは、

 と、言った感じです。ミクすごいね、曲ついてるんですもん……気合の入りようがすごい。あと、ずっと密かに欲しいと思っていたHRアーティファクトとNホーリーゲートが4枚揃いました。公式サークル、初めて書き込んでみたのですが一瞬でした。すごいすごい。

 今募集中なのは、

 どれも未進化で欲しいです。相場当たりなら買いますので、相場並みの値段でどうか皆さん出品してくださいお願いします!!本当に切実に探してます。オーレリアとメリッサとミルフィは今は観賞用で、今の時点で急いで4枚急いで揃えなくてもいいかなと思っているカードですが、1枚は欲しいという感じですね。いつかは4枚揃えて4max作りたいですけどね。4max以上は無理ですよ、無課金では……。

 

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 そしてあと一つ!懲りずに宣伝!!!!!

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それでは、今回の作業用BGMは「境界線上のホライゾン ORIGINAL SOUND TRACK」より加藤達也さんで「空を行けば翼があり」でした。境ホラのサントラは良作業用BGMが多いですな。ここまで読んで下さり、ありがとうございました。では、また。