Spherical Days Note. 跡地

このブログは(https://lirasphere.hatenablog.com/)に移転しました。

No Chroma.Ⅱ

 とある日の私の朝ご飯を教えよう。それは、リーマス(炭酸リチウム)、メイラックス、向日葵の種、そして麦茶。リーマスメイラックスは、言わずもがな薬の名前である。

 私はこの一ヶ月間、風邪を引くとともに、それまで激しく私を苛んでいた躁状態はまるで嘘のように引っ込んで、とても重いうつ状態が私の胸内を侵食し続けた。一回風邪が治ったと思ったら、治り際にまた妹から風邪を貰い、風邪を長引かせてしまった。それとともに、どんどん胸の中のうつも重く濃ゆいものになっていき、出来るはずのない(勇気がない、と言った方が正しいか)自殺まで考えた。

 うつ状態になると、私の心の中に依然としてある虚無感、悲しみ、孤独感などが大きくなり、無視できなくなってくる。私はずっとこれらに苛まれ、もがき苦しんだ。

 

                            流れてく 時の中ででも 気だるさが ほらグルグル回って

                            私から 離れる心も 見えないわ そう知らない?

 

 前回のテーマとした曲『夢の中へ』は有名な曲だが、今回のテーマのこの曲はマイナーなので少し紹介でもしておこうと思う。ZUN氏と呼ばれる方の創作物、「東方Project」。これは色々な少女たちが出てきて戦うガンシューティングゲームなのだが、とても人気でアニメ化などもされている。この曲の名は「Bad Apple!!」というものであり、ゲーム中のBGMを同人サークル「Alstroemeria Records」がアレンジし歌詞を付けたトランスミュージックである。訳すると「ろくでなし」という意味だ。

 

                            自分から 動くこともなく 時の隙間に 流され続けて

                            知らないわ 周りのことなど 私は私 それだけ

 

 祖父は畑仕事や祖母の仕事を手伝い、祖母や母は掃除洗濯などの家事をこなし、父親は言わずもがな家族を支えるための資金を稼ぐため働き、妹ははっきり言って割の合わない進学校で毎日のようにあるテスト勉強をし、ペットの犬の散歩へ連れて行く(まあこれは妹の気分次第だが)。

 比べて、自分はどうだろうか。

 ベッドの上で横になっているだけで、何も出来ていない。それなら祖母や母の手伝いをすればいいじゃないか、そうとも思うけれど、自分を悩ませる重いうつがそのやる気を全部剥ぎ取っていく。全てが億劫なのだ。家にいると、全てが億劫になる。勉強はおろか、ゲームでさえも。

 だから、土日は重い体を引きずり、一生懸命元気な顔を作って皆に誘う……否、懇願するのだ。

 ――「私をここから出してください」と。

 

                            夢見てる? 何も見てない? 語るも無駄な 自分の言葉?

                            悲しむなんて 疲れるだけよ 何も感じず 過ごせばいいの

                            戸惑う言葉 与えられても 自分の心 ただ上の空

                            もし私から 動くのならば すべて変えるのなら 黒にする

 

 遠出してみても、そこでも私は素直に楽しめなくなってしまった。自分が「ドライブしたい」と、両親に頼んで無理矢理連れて行ってもらっても、車に乗っている最中にこう思うのだ――「この動いている車の扉を開けて、出て行ってしまいたい」と。

 話が変わるが、私は、Twitterのアカウントを五つくらい持っていて、メインで使っていたアカウントを消した。それは前回でも書いたように、通知が早く来ないとずっとうじうじ悩んでしまうからだ。だから、あまり使っていないアカウントに仲のいいフォロワーだけ招待して、そのアカウントを消してしまった。これで、通知関連で悩まされることはなくなるだろうか? これで、SNS関連で悩まされることはなくなるだろうか?

 話を戻そう。遠出した先は道の駅と呼ばれるところだ。その帰り、昼ご飯を買いにコンビニに寄った。そしてそこでご飯を買って、車内で食事をとっていた。途中、父親がコーヒーを買いに車内から出て行った。そのとき、ペットの犬を連れてきていたのだが、父親が居なくなった途端、鳴き始めたのだった……きゅう、きゅう、と、こんな感じだ。まるで、「寂しいよ、置いていかないでよ」と言っているかのようだった。うつを引きずる私にとってその鳴き声は、悪い刺激にしかならなかった。具合が悪くなり、母親に犬をあやして貰うように頼んだ。

 

                            こんな自分に 未来はあるの? こんな世界に 私はいるの?

                            今切ないの? 今悲しいの? 自分のことも 分からないまま

                            歩むことさえ 疲れるだけよ 人のことなど 知りもしないわ

 

――こんな世界に 私は居るの?

――こんな世界に 私は要るの?

 私は臆病者だった。どこまでも臆病者だった。

 前、朝逃げ出した時も、どこか飛び降りられそうなアパートを探して、見つけたのに、丁度通学時間で小学生が出てきたという理由で上階にも上がれず、結局私を探しに来た妹に見つかって、後からやってきた祖父の車に押し込められてしまった。

 家の前で自殺なんかしたくない。そんな思いで探しに行ったのが水の泡だった。

 それならいっそ、と、家のベランダに出た。ベランダには、三つのエアコンの室外機がある。母親と父親の寝室のものと、私の部屋のものと、妹の部屋のものだ。両親の寝室のエアコンの室外機の上に乗って、そこからベランダの縁に乗れば飛び降りるのは簡単なのに、それさえも出来ない。

 前回、ハサミではよく肌を切ることは出来ないと言ったが、血を出すことだけなら十分に出来る。カミソリのように、真っ赤に切り刻むことは困難だが、それでも、傷をつけることは出来る。満足は決してしていないが。

 少し汚い話ですまないが、最近お通じが悪い。出そうなのに出ないのだ。寝ていても(これは極稀にだが)突然吐き気に襲われることもあるし、風邪はとっくに治した筈なのに、咳も治らない。体のあらゆるところが、私に不調を訴えてくる。この症状は、ただこうなっているだけなのだろうか? 私にはそう思えない。

 

 また、母と言い合いになった。私は退院後から母と一緒の部屋で(父親のベッドを借りて)寝ていたが、テレビ嫌いな私と母親では、反りが合わなかった。だから、私は孤独感を心の中にぎゅっと押し込んで、自分の部屋に戻ることにした。私は、自分の部屋に戻った一日目、こんなことを考えた――「今なら、こっそりこの家から抜け出せるのではないか」と。そこであてどもなく歩いて野垂れ死ぬか、はたまた誰か、暗闇の中を徘徊するような怖い人に殺して貰えるのではないかと思ったが、出来なかった。

 

 私は、私は……ようは、怖くて死ぬことが出来ないから、生きているだけなのだ。

 

 こんな生きる気のない私に、貴重な金が消費されていく。食費、電気代、水道代、学費、病気の治療費。私が「外に連れて行ってくれ」と頼んだ時に使うレジャー費なんかもそうだ。

 

                            無駄な時間に 未来はあるの? こんな所に 私は居るの?

                            私のことを 言いたいならば 言葉にするのなら 「ろくでなし」

                            こんな所に 私はいるの? こんな時間に 私はいるの?

                            こんな私も 変われるのなら もし変われるのなら 白になる?

 

 躁うつ病――否、躁うつ病だけではない、うつという名の病を持つ人なら皆一回は思うのではないか?

 

                            動くのならば 動くのならば すべて壊すわ すべて壊すわ

                            悲しむならば 悲しむならば 私の心 白く変われる?

 

 躁状態の私の、過激になっている心の内は言うのだ……「阻むものは全て殺せ、全て壊せ。それがお前に出来ないなら、お前が死ねよ」。

 

                            あなたのことも 私のことも 全てのことも まだ知らないの

                            重い目蓋を 開けたのならば すべて壊すのなら 黒になれ!!!

 

 

後書き

 見苦しい殴り書き後編(?)。ここまで読んで下さり、大変ありがとうございます。一応前作を読まなくても大丈夫ですが、前作を読んでいた方がより理解が深まるのではないかなと思いまする。

 前回は比較的客観的な部分が多かったと思うのですが、今回は頑張って頑張って自分の主観を引きずり出して書いてみました。だからこっちの方が殴り書きっぽいです。もはやエッセイでもなんでもないです。あ、最後の方にちょっと前作で出てきた“私”が登場していたの、分かりましたかね? 分かったら超上級者です。

 さて。今回は大分マイナーな曲をテーマにしていますが、曲に出てくる「白」と「黒」とは、どういう意味なんでしょうか。もしかして、夢の中へ誘うあの“私”に繋がっていたりしないのでしょうかね。そしてこの小説の題名。「chroma」という単語の意味は前作の後書きで書きましたが……そこら辺が、この殴り書き、エッセイの端くれの、最も訴えたいことと、裏に込めた私の複雑な心が見えてくると思われます。「そんなん分かりとうないわ!!」という方は全然スルーしてもらって結構です。解釈の仕方も人それぞれです。

 それではまあ、この辺にしておきましょうか。改めて、ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございました。

No Chroma.幕間

(これは全て心というCPUと胸中という印刷機(プリンター)から吐き出された言葉である)

 ねえ、またそんなところで手首切るんだ? 自分を見てもらいたいがために切るんだ。へぇ~。ほらほら、まだ血が出てないじゃん。そんなんじゃ無理だよ、むーりむり。

 つーかさあ、オメーは人を困らせて何がしたいわけ? ただの構ってちゃんとかうざいだけだと思うんだけど。てかそこんとこ分かってると思うんだけどさあ。Twitterとかでも見たろ? あんな気持ち悪いリスカ画像ヘッダーにしてるメンヘラとか。自分でも気持ち悪いと思ったろ? お前はそれを、同じことを家族にしてんだよ。SNSに投稿してないだけマシってだけなんだよ。

 肌がツルツルになってきたなぁ。こっから血を出すのか? ハサミじゃ無理なんじゃないの? やめれば? やめられないよねえ。こんな私じゃやめられないよねえ!! 理由なんかわからずに切ってるんだから。

 この部屋だって可哀想だよなあ。完全にリスカするために逃げる場所じゃん。もう自分の部屋じゃないじゃん。リスカ室じゃん。部屋の扉に掛かってた可愛い「My sweet home」の看板も、モヤモヤを消すために黒ペンで塗りつぶして投げ捨てた。こんなのMy sweet homeじゃねえよなあ。My sad roomだわ。あーあ、可愛そう。これだって金出して買った看板なのに。この部屋だって金出して買った部屋なのに。

 そこで結局お母さんが来るんだよ。そして優しく薬を塗って、包帯を巻いて貰うんだ。

 おい、なにがしたいんだよ。うつなんか出てくるんじゃねえよ。ちょっとのことでうじうじうじうじしてんじゃねえよ、腹立つんだよ!! でもリスカはやめられないよな。私の今の生命線を繋ぎとめる役目をしているんだから。

 どこまでも悲しい人。お母さんもお父さんも、ジージもバーバも親戚の人たちも長女がこんなやつに生まれてきてほしくなかったよなあ。病院行って、薬貰う。保険利いてるから薬価は安く済んでるけど、リスペリドンは保険がきかないんで高いから買ってくれないんだとよ!! 世の中金、金、金、私なんかじゃ金には逆らえないんだよなあ。よく「人の命をお金で表すなんて」とかいうけど、そんなの所詮きれいごとなんだよなあ!! あーあ、なんでこんなところに私は居るんだよ。生まれてくる場所間違えたよ。私には合わない世界だよ。ばーか。

 

(場面が切り替わる)

 ねえ、またそんなところで手首切るんだ? 自分を見てもらいたいがために切るんだ。へぇ~。ほらほら、まだ血が出てないじゃん。そんなんじゃ無理だよ、むーりむり。

 つーかさあ、テメーは人を困らせて何がしたいわけ? ただの構ってちゃんとかうざいだけだと思うんだけど。てかそこんとこ分かってると思うんだけどさあ。Twitterとかでも見たろ? あんな気持ち悪いリスカ画像ヘッダーにしてるメンヘラとか。自分でも気持ち悪いと思ったろ? お前はそれを、同じことを家族にしてんだよ。SNSに投稿してないだけマシってだけなんだよ。

 肌がツルツルになってきたなぁ。こっから血を出すのか? ハサミじゃ無理なんじゃないの? カミソリ買ってくれば? それが出来ないならやめれば? やめられないよねえ。こんな私じゃやめられないよねえ!! 理由なんかわからずに切ってるんだから。

 雨が降ってきたねえ。泣きたいのに泣けない私の代わりに泣いてくれてんのかな。そんなわけないけど、そんなこと思っちゃうのも仕方ないんだよねえ、病気だもんね。障害者だもんね。私は家にとって害なんだよね。蚊みたいな、害虫とおんなじだよ。害虫なんだよ、私は。そういえば、エアコンの室外機がありますね。アレに上って家のベランダの縁に乗ってダイブすればアラ不思議、この世からオサラバ出来ちゃうよね。まあ、打ち所によっちゃ生き延びるかもしれんけど十中八九死ぬよねー。うん。室外機。足乗っけて? そう。左足乗った? 右足乗った? それじゃあそこからベランダの縁に……なんで足が動かねえんだよ!! なに怖がってんだよ!! 死にたいんだろ?! やっぱりただの構ってちゃんなのかよ!! ほら、乗せろよ!! 社会のゴミがあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

メッセージが途切れました。

……CPUに深刻なエラーが発生。修復は不可能です。迅速に交換しt

 

(これは全て実際にとある少女の中で行われた議論と会話である)

No Chroma.

自分の胸にこびりついて離れない、虚無感と悲しさ。典型的なうつ症状である。双極性障害……躁うつ病。私のこの病気は、気分が異常に高揚して支離破滅な言動を繰り返すいわゆる躁病と、何にも意欲をなくし、意味もないのにずっと悲しい、寂しい、そんな気持ちになって何もしたくなくなり特には悲観的になりなんでもない事でも自分を責めたりする病……よく知られるうつ病。私の感覚では、躁病よりうつ病の方が名前が世に浸透していると感じるが……躁うつ病は、そのふたつを絶え間なく行き来する病気である。人間だれしも気分の波はあるが、セロトニンと呼ばれる脳の成分が足りないせいでその波がより大きくなってしまう病気だ。……専門家ではないから、恐らくとしか言えないが、まあ大体そんな病気だと私は理解している。

 人間、誰しも不安を持っている。その不安が膨らむと不安障害になり、もっと膨らむとうつ病になり、それよりももっと膨らむと躁うつ病となり、そしてその上に統合失調症がある。

 

 今は重いうつ症状が顔を出している。ちょっとした出来事にも過剰反応してしまう。例えば、母が少しだけきつい感じで私に「ご飯だから来て」と言ったとしよう。それだけで私は「ああ、私は嫌われているの?」と思ってしまう。それに、例えばTwitterでいいね(前はFavoriteと呼ばれていた)やらリツイートやらが来なかったり、リプライしたのに何時間も返事がなかったりするとそわそわが収まらなかったりする。

 

 そういうことが積もり積もると、私は自傷してしまう。

 

 リスカ依存症にはなりたくない、そう思っていたけれど、もうなってしまっているのかも知れない。だって、頭の隅にずっと、特にお風呂の時など、「自分は(物理的に)傷ついていなければいけない」と、根拠のない使命感に駆られている。だから今も傷つけるけれど、刃物は全て取り上げられ、切れるものはハサミしかない。ハサミでは切りにくい。私は躍起になり左手首だけではなく右手首にも傷をつけてしまっているし、横カットだけではなく縦カットもしている。なので、今は両手首に包帯を巻いている状態だ。……もう慣れてしまった。もう包帯は私の体の一部だった。この前手首切った場所なんて、ベランダだった。私はノートのマス目のように手首を切り刻みたいのに、そうはいかなかった。隠密にカミソリを買いに行く、そんなやる気さえも、うつのせいで起きない。

 

                            休むことも許されず

                            笑うことを止められて

                            はいつくばって はいつくばって

                            いったい何を探しているのか……

 

 私がこの曲を知ったのは斉藤由貴さんのカヴァーバージョンだが、井上陽水さんのこの歌詞に、心が揺さぶられるのを感じた。

 

 私はこの病にかかってから、涙を流す時は涙が一時 間以上止まらないか、泣きたくても泣けないかのどっちかになってしまった。私と同じ病だったと言われる夏目漱石が書いた「こころ」。これが高校の課題に出た時、私は頭がぐわんぐわん揺れるような気がして、自分の中に依然としてある虚無感と悲しみが肥大しそうになって、読むことが出来なかった。高校に連絡すると、問題を差し替えて貰えることになった。通信制高校でよかったと、私はその時心から思った。

 

                            探すのをやめた時

                            見つかることもよくある話で

                            踊りましょう 夢の中へ

                            行ってみたいと思いませんか?

 

 Rayark社の大人気音楽ゲーム、「Cytus」の中に入っている、ensou氏の「COMA」という曲の画像(参考:https://goo.gl/ecbQwY)のように、もう一人の“私”が、この超客観的気質な私の、少しだけ残った主観的心情に問いかける。

「踊りましょう。夢の中へ、行ってみたいと思いませんか?」

 

 そう問いかけるもう一人の“私”は、微笑んでこちらへ誘うように両腕をこちらへ向けていた。

 アパートの上階の階段から、頭から落ちながら。

 

                            休むことも許されず

                            笑うことを止められて

                            はいつくばって はいつくばって

                            いったい何を探しているのか

 

                            探すのをやめた時

                            見つかることもよくある話で

                            踊りましょう 夢の中へ

                            行ってみたいと思いませんか?

 

 私の探すもの。毎日薬を飲んで、うつの時はベッドの上。夕飯の匂いがすればそれがどんなに好きなものだったとしても気持ちが悪くなり、拒食っぽくなって痩せ、下痢と不眠に苛まれる。父には再入院させるぞと脅され、母とはちょっとしたことで私が過剰反応してしまうがゆえに言い合いになり、躁状態の時に家を飛び出し暴れれば祖父母や妹にも探され捕まえ抑えられる。

 

                            探しものはなんですか?

                            見つけにくいものですか?

                            カバンの中もつくえの中も

                            探したけれど見つからないのに

 

                            休むことも許されず

                            笑うことを止められて

                            はいつくばって はいつくばって

                            いったい何を探しているのか

 

                            探すのをやめた時

                            見つかることもよくある話で

                            踊りましょう 夢の中へ

                            行ってみたいと思いませんか?

 

 命は永遠ではない。私がこうしている間にも、無情にも時は流れ、命が少しずつ削り取られていく。

 私が今探していることを、やめたら。

 

 もう一人の“私”が、頭から落ちながら、うつのせいでなんのやる気も起きずベッドの上にいる私に手を伸ばす。

「探すのをやめた時

 見つかることもよくある話で

 踊りましょう 夢の中へ

 行ってみたいと思いませんか?」

 

 

ベッドの上の私は、その手を

(ここで手記は途切れている)

 

 

 

後書き

 ここまで全部読んで下さり、ありがとうございました。これは衝動的な殴り書きみたいなものですので、見苦しくてすみません。

 まず、文章中に使わせて頂いたのは井上陽水さんの「夢の中へ」という曲です。ちなみに私は1998年生まれですが、聴いたのは斉藤由貴さんのカヴァーバージョンです。使わせていただき、ありがとうございます。

 さて、私、この文章に名前を付けるか付けるまいか悩んだ末、付けました。「No Chroma.」意味もちゃんとあります。ここで全部解説してしまうのもあれですので、ヒントだけ。「chroma」という単語は、「彩色」という意味らしいですよ。もう答えを言っているようなものですな。

 この文章の中には、三人の私が出てきます。二人だと思ったでしょうか?実は三人なんです。

 そして、この文章は全て私が経験したこと、思っていることですが、「私ではない誰かがしていること」として書いています。なぜかは……察してください。この文章の主人公は、私であり、私ではないのです。

 

 さあ。ここまで読んでくれた皆さん、考えてみてください。

 私は、最後、“私”の手を取るでしょうか?それとも……